横浜コミュニティデザイン・ラボインターンの鈴木ゆりりです。10月19日(木)に泰生ポーチで開催さた公開トーク「弱者が社会的弱者にならないためには?〜日本とアジアの障害者から学ぶ〜 タイのサオワラックさんをお招きして」に参加しました。
会場では、神奈川県ユニセフ協会の協力で「障害のある子どもたちへのユニセフ支援」パネル展も開催されました。
公開トーク「弱者が社会的弱者にならないためには?〜日本とアジアの障害者から学ぶ〜 タイのサオワラックさんをお招きして」
主催 野毛坂グローカル、横浜コミュニティデザイン・ラボ
協力 神奈川県ユニセフ協会
場所 泰正ポーチ(横浜市中区相生町2)
◇背景
バニラエアによる車いすユーザーへの対応が問題になるなど、障害者を差別しようと考えているわけではないにも関わらず、結果的に障害者への差別、権利侵害となることが行われています。「ふつう」と「ふつうではない」人を区別して「ふつうではない」人を知らない間に排除している社会や私たち。障害を持っている・持っていないに関係なく、誰もが違いを受け入れ合う社会とはどのような社会なのかについて、障害のある人の権利の保護と社会参加の機会平等をめざす世界的な当事者団体の「障害者インターナショナル(DPI)」アジア太平洋ブロック事務局長であり車いすユーザーであるSaowalak Thongkuay(サオワラック・トーンカイ)さん、海外で障害者など社会的に弱い立場である人の支援に携わってきた経験をもとに、現在は横浜市西区野毛山で「(「ふつう」「ふつうではない」区別せず)誰でも」が気軽に集うコミュニティスペース運営を行う奥井利幸さん、横浜コミュニティデザイン・ラボ理事の宮島真希子さんが中心になって、参加者でお話しました。
◇内容
18:30~ 横浜コミュニティデザイン・ラボ理事 宮島真紀子さん挨拶
参加者自己紹介
18:55~ 野毛坂グローカル 奥井利幸さん 「弱者と社会的弱者」について
DPI事務局長 サオワラックさん お話
20:00~ 宮島さんお話 意見交換
まず、横浜コミュニティデザイン・ラボの理事である宮島真紀子さんから今回のイベントの趣旨説明がありました。その後に、参加者の方々の自己紹介が行われ、大学生や役所の方、NGO・NPO職員、福祉関係の仕事をされている方など10数名が泰正ポーチに集まりました。
奥井さんのお話は、弱者と社会的弱者のちがいを考えるという切り口から、「弱者」となる原因が個人にあるのか、社会にあるのかを「妊婦さん」「目が悪い人」などを例に挙げて考え、そして平等と公平との違いを考えるという内容でした。
次にサオワラックさんからDPIがどのような団体であるのか、障害者が社会参加を行うにはどのような種類の「バリア」があるのか等のお話がありました。
最後に、宮島さんからお二人のお話を踏まえてのお話があり、質疑応答を経て終了するという流れでした。
◇まとめと感想
奥井さんのお話に出てきた、時代によって「弱者」が異なるというお話が印象的でした。昔は目が悪かったり、足が悪いなどが「弱者」でしたが、今は学歴がない、仕事がない、財産がないなどが「弱者」に当てはまる例を示されました。つまり、個人の特性よりも社会環境が原因となって「社会的弱者」が生まれるということ。目が悪くてもメガネがあれば、車椅子を使ってもバリアフリーな社会であれば「弱者」とならないという考え方です。障害者の社会参加のバリアを社会全体でどう軽減していくかが議論されるとのことでした。
サオワラックさんは、社会参加のバリアを「物理的」「情報やコミュニケーション」「制度や法律」「人の気持ち・態度感覚」に分けて説明されました。できないことの種類によってバリアは異なりますが、共通して言えるのは「人の気持ち・態度感覚」によるバリアが最も根が深く、他のバリアにも関わってくることだと仰っていました。
社会参加のバリアに一番苦しんでいる障害者自身のエンパワメント(能力強化)が必要で、能力強化された障害者が社会に発信して社会を変えていくことが必要であることを、強調されていました。
そして、宮島さんは「ゆっくりと人の意識を変えていくことが必要」と仰いました。正しいことでも、強く過激に主張することで、反感をかい、逆効果となる場合があるためです。 最近、環境に配慮する行動に関心のある私も、「人の意識を変えること」について考えていました。それは非常に難しく感じられ、一方で案外シンプルなものなのかもしれず、このトピックについては障害にかかわらずあらゆる問題に帰結することなのではと思いました。
宮島さんは「日本はみんなが我慢しているから私も我慢しなければならない」と権利を主張することに反発する人が多くいるとお話していました。確かに日本にはそのような傾向があるように思えますが、一方で、徐々に声を上げるべき人が、それに気づいてきているような社会になりつつあるのではと思います。
障害を持つ人々といってもそれぞれに個性があり、一括りにできない中で、社会という広い枠で見た時に「障害者」「マイノリティ」という分類をされてしまう社会ですが、お話を聞いていて、障害があることやマイノリティであることで社会的弱者となっている人たちがいるのは世界共通のことで、大きな横軸で団結していることに魅力や可能性を感じました。
障害を持つ人への偏見をなくしていくには、障害があるかどうかのみに関わらず、あらゆる「ちがい」を認め合って尊重していく社会であることが前提条件だと思います。そもそも同じ人間などいないので、少しの考えの違いでさえ衝突してしまいますが、ちがいを楽しめる社会へ向かうと、障害者だけではなく誰もが住みやすい社会になるはずです。このような、考えを共有し意見をシェアするイベントがあることや、そこに足を運ぶことで、少しずつ変わっていくのではないかと思いました。
※「障害者」には複数の表記の仕方がありますが、「障害者インターナショナル」の表記に合わせて「障害者」と表記しています。
鈴木ゆりり(立教大学大学院2年)